「できないこと」は「複雑」
うまくいかないことは複雑
仕事に限らないことですけど、「複雑」なことってあります。
失敗すること、うまくいかないことはえてして「複雑」です。
例えば、
「○○君が投げたボールがうちの子にあたった」
といっても、
バッターボックスでやむを得ないことなのか、遺恨があって故意なのか。
色々「事情聴収」したいですよね。結論に飛びつく前に。
「うまくいかない理由」は「複雑」ですよ。
なので「説明も複雑化しがち」です。
受け手の単純化志向
ところがですね、説明を受ける側からすると、ものごとを「単純化してほしい」傾向があります。
不動産買う時でもそうなんですが、「要するに得なのか損なの?」って不動産屋さんに聞いても、「お客様の価値観次第」というところが出てきますよね。「駅近マンション」は資産性は高いけれども、「景観はそうでもないですよ」とか。
仕事も似たようなところがあります。「出来るの?出来ないの?」ということを部下に問い詰めたところで、例えば開発日程だと「日程リスクは高いけれど頑張ります」とかになりがち。
なのに、「煮え切らない」答えを「そういうもの」として捉えることができない人がたまにいます。
組織によるでしょうけど、私はあまりよくないことだと考えています。
そこ、「そんなに短縮したいですか?」って思える。
背後にある「失敗もあり得ますよ。むしろ可能性高いですよ」という「単純化」できない「複雑さ」をくみ取るコミュニケーションが必要だと思います。
二元論以上の情報量をとらえる
「出来る?出来ない?」の二元論では、大体の人は「出来る」「頑張ります」と言わざるを得ないシチュエーションにあります。結果志向が強く働くせいです。
練度が高くなってくると二元論化しやすいです。生産性もあがってくるように見えます。判断スピードがあがります。無駄がなくなります。ところが、ピークに到達したあたりで、二元論化の弊害が出てきます。
失敗に対して「できるって言ったよね?おかしくない?どっちなんだよ?」となりがちです。
状況が複雑であれば、結果も変化する。今できるといっても、明日は出来ないかもしれない。
そういう背景まで考えるべき。
「コミュニケーションの壁」が当然のように発生しはじめます。機能しない組織が生まれます。
「複雑さ」をそのままとらえて共有化する、聞く側にも力が必要です。
せっかくコミュニケーションとってるんだから、あわてちゃいけないです。












