『適当な報告』の背景
- 『適当な報告』は自衛本能
- 『適当な報告』を改めさせる言い方
- 放置で失われるものは大きい
報告やレビューで「これって大丈夫か?」みたいなことを聞いて、回答されたときに「あ、適当なこといったな?」みたいな感覚を受けるときがありませんか?
私はままあります。
自分が回答する側だった時もそうだったな、ということもありますし。逆に、「あ、今適当なこといっちゃったな」とあわてて撤回することもありますね。
『ぶれる人』の烙印
最近は大いに反省していて、「聞く側にも問題があるんだな」ということが分かってきました。
報告者の心理として、「指摘された内容」が「どうでもいいこと」「他の人なら大丈夫と判断してる」「この間は真逆のことを言った」と感じるんですね。すると、とにかくその場を最小限に切り抜けようと、「適当な言い方」をし始めますね。
「報告する側」が「報告を受けた側」に『ぶれる人』という烙印を押しているんですね。
納得する言い方が必要
聞く側としては「相手も納得する」言い方で、突っ込まないとダメです。
これは、ある意味で「心理的安全性」という側面もあるでしょう。
『この間は真逆のことを言ったかもしれなくて申し訳ないけども』
『間違ったことを教えてたら申し訳ないけども』
と「非を『分担する』」言い方や、
あるいは、
『これ大事じゃないと思うのかもしれないけど違っていて』と別の価値、側面を切り口とする言い方です。
こんな言い方はすべきでない場所もあるかもしれません。
「理不尽さ」でカオスの状態をつくって権力で統率する、という場合はそうでしょう。政治組織をみてるとそういう感じを受けます。しかし、会社では基本、こんな状態は理想形ではありません。
「適当さ」が無駄な工数を生む
「適当な言い方」に気づく上司は能力も高いでしょうから、「自分の過ちを認めること」を恐れる必要はないでしょう。そもそも、会社組織は誰かの体面を取り繕うためにあるものではありません。
「適当さ」で失われる無駄な工数に比べたら、というのもあります。
私は製造業ですが、製造業、メーカーの品質問題の多くに「適当さ」が潜んでいますね。「仕様」「安全性」「品質性能」。どこまでテストしているか?テスト条件は?前機種との仕様の整合性はどうか?といったところです。適当なままスルーしておくと、えらいことになります。
「適当さ」をうまく使う
「適当さ」はある意味で、優先度をどうとらえるか、という「人間の能力」もあるため、それ自体を否定するものではありません。「どうでもいいこと」や「無理、無駄なルール」というのも少なからず存在します。
改善していく意味でも、報告を受ける側は注意深く状況を見て、「なぜそこで『適当さ』を発揮しているのか?」というところまで考えて指図することが大事だと思います。








